怒涛の音楽論3連発その2:ロックの健全な姿…?

「今時ギター・バンド?」などというのは別に今人気の勘違いヤローが初めて言った台詞ではなく、ビートルズもデビュー契約時に言われたことだし、そういう逆風はHR/HMが全盛だった80年代にも存在していた。

ただ、あの頃にはシンセという「代わりうるもの」が存在していた。どのバンドもシンセ(特に当時流行のDX7)を駆使し、キラキラと華やかな音を演出していたが…所詮は先駆者であるYMOが作ったレールの上を走っていたにすぎない。ただ、流行りのバンドのファンはそういう「先駆者」の存在に敬意を示すことなく「流行りだけ」を追ってたんだよね…

さて、その反動は90年頃には早くも訪れ、「イカ天」に代表されるバンドブームで出てきた連中のほとんどが(奇抜さ第一だったとはいえ)ギターがメイン、中でも「たま」は電気すら通さないアコースティック楽器で独自の音楽を展開していた。

言っておくが、私は「たま」を好きでもないし評価もしていない。が、時流に逆らって独自のスタイルを貫いたことだけは「いいんじゃない?」と思う。

ロックの歴史を顧みると、伝統破壊・初期衝動→テクニックやドラマ性の向上→様式化・洗練→伝統破壊・初期衝動…という無限ループになっているのだ。これ、見事に60年代・70年代・80年代・90年代に当てはまってるんじゃない?多少のズレはあるけどさ。

そして今のセカオワ(あーあ、言っちゃった)がその流れから逸脱していること「だけ」は評価すべきかもしれないが、ギターを否定する割にはギター持ってるし、ピアノにターンテーブル…何も新しい要素は見られない。大口叩くんなら代替えとなる楽器を使うとかして新しいものを示すのが筋じゃないか?演出ばかりに凝ってる場合じゃないよ?

話は変わるけど、ロックが成熟するにつれて「洗練」というのは避けて通れないというか意外な曲者で、これがロック本来の反骨精神とか荒々しさを削いでしまう現実があるのだ。

年取って丸くなって「成熟した」音を提示するのはいいとしよう。でも、若いのに変に小綺麗な音を出す「ロックバンド」には強烈な違和感を覚えてしまう。

だからこそ、全員が50歳を迎えた現在も尖ったままのエレカシが今、評価が高まっているのではないだろうか?

今時のフニャフニャした連中にはない反骨精神、うるさいだけの連中にはないしっかりした音楽、これらがそういう「ロックバンド」に失望した我々中高年の支持を得ていることは大きいだろう。

のみならず、若くても矢沢永吉山下達郎といった「本物」を求めている人も少なからずいる。その辺にこの国の音楽シーンが再び健全な姿を取り戻すことを期待するばかりだ。